空き缶のバナナシュート
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理香子、いい加減、カズちゃん誘って遊ぶのやめなさい。あちらにもいろいろ都合もあるんだろうから。」
母のちょっと困ったような声が聞こえる。それはそうである。あんな噂のあるわけありの娘がご近所の好青年(少なくとも近所ではそう言われているらしい)を夜な夜な誘って遊ぶのは世間体が悪いらしい。気持ちはわかる。
私は今年30になる。世間体の悪い無職な女だ。もっとも、つい一週間前までは、堅い仕事をしていた自慢な娘のハズだった。
「わかってるって。もうすぐいなくなるからさ」
そう言うと私はブーツのジッパーをあげた。
「まったく、どこでかわったんだろう」
私はすぐ三軒先を目指して歩いていた。母の声がだんだん小さくなっているけど、内容は聞かなくてもわかっていた。大きなお世話だ。
呼び鈴を押そうかと思ったけど、さすがに三日連続では押しにくかった。私はカズの家の門に寄りかかりしばらく待つことにした。カズこと和也は幼なじみだ。お寺の幼稚園、小学校、中学校は一緒だったけど、なんと有名進学校の私立高校に進学したのにそこでもついてきやがった。(向こうも同じことを言うだろうが)
 二月は暦だけの春だ。風は冷たい。このまま風邪でもひいて死んでもいいかなとも思う。そうしたら知り合いがみんなワイドショーになるだろうな。でも死んだ本人には関係ないが。
「こんなとこで何やってんだよ。いい大人なんだから呼び鈴押すとか、携帯鳴らすとか頭使えよ。」
和也だ。今日は車に乗っている。RVだった。
「まあ、乗れよ」
和也はちょっと怒り気味だ。
「今日は、海に花火しに行こうぜ。」
「こんな季節に。花火なんかあるの。」
「大丈夫。まかせとけって」
車の中には子供がするような手持ち花火と小さなバケツがちょこんと座っていた。別にあてのない私は和也の車に乗って花火をしに行くことにした。別になんだっていいのだ時間さえつぶれれば。自分の感情が壊れてなくなるほどの時間がつぶれていけば。
車は海へと向かっていた。カズは今日は無口だった。いつもは口から先に生まれてきたくらいによくしゃべる。漫才師になったらよかったかもと思うくらいによくしゃべった。
そのカズが今日はしゃべらない。きっと私の正体を知ったからだ。もうカズとも今日を最後で遊べないと思った。
「ねえカズ、この車どこにでも行けるの?」
私は沈黙が恐くて聞いた。
「おおよ、地球の端まで行けるぜ。だってRVなんだから。おれ、おまえにうそついたこと無いだろ」
カズは、自慢げだった。私の元の彼の車はファミリーカーのワンボックスだったし、彼は乗せてくれたことはなかった。本当にカズは一回をのぞいて私にうそをついたことはない。なんでそこまでこだわるのだろうと思うけど、彼はどんな人にも誠実だった。それが信条のように。
 車はヘッドライトの照らした先の海岸へ向かって走っていた。
3.
 カズは一回だけ私にうそをついたことがある。高校の時だ。彼はその頃サッカーをやっていて、MFだった。チームでは一番うまかった。もっともサッカー部自体が県で一番弱かったから彼のレベルもしれたものだ。それでも毎日フリーキックの練習をしていた。カズが言うには
「どんなにつよいチームと当たっても、一回くらいはフリーキック蹴るチャンスがある。そのときに確実に一点とるんだ」
ということらしい。その通りだと思う。だって私もサッカー部のマネージャーでサッカーの試合はずいぶん見てきたからだ。
私たちの最後の公式戦に弱小チームの我が高校は全国制覇3回の高校と当たった。不運だった。それでも彼は一点をあきらめてなかった。
「リカコ、おれあしたの試合で必ず一点とる。約束する」
彼は静かに力強く言った。
「期待はしてないけど、信じてる。約束してね」
私も若かった。その言葉を信じた。結果は一回だけフリーキックのチャンスがあった。カズの蹴ったフリーキックははるかクロスバーの上を越えていった。試合は6−0の完敗だった。あんなに練習したのに報われなかった。それが彼がたった一回私にうそをついたことだった。

「教師なんて辞めて正解だよ。今の子供はまるでモンスターだ。教師なんて猛獣使いみたいなもんだ。おまえには似合わないよ。」
カズは唐突に言った。表情はちょっと曇っていた。
やっぱりカズは知っている。
車は海岸に着こうとしていた。
4.
 私の元の彼は同じ小学校の先輩教師だった。いわいる不倫だ。そのころ私は疲れていた。崩壊する担任の教室、いじめ、登校拒否、どれをとっても私にはストレスだった。私は一生懸命やった、すべてのマイナスを補うために。それでも元には戻らなかった。
 そんなとき現れたのが彼だった。同じように彼のクラスも崩壊していた。似たもの同士だった。私たちは惹かれあい、愛し合ったつもりだった。
彼の奥さんは妊娠した。彼の子だ。彼はまだ奥さんも好きなのだろうか?
私は
「私と奥さんのどっちが大事?」
と甘えた。
「子供はいらないんだ。おまえが一番だ」
と彼は繰り返して私の髪をなでてくれた。私の中で彼がすべてになった。
一年もすると、父兄の間でも口々に噂になった。
「教師の仕事もしないで、不倫してる雌猫だって」
私はかまわなかった、彼さえいれば。そして私はますます彼にのめり込んだ。
彼の子供が生まれた。関係ないが女の子だった。するとぱったり彼は私と会わなくなった。私は何度も電話をしたり、待ち伏せしたりして逢おうとした。逢ってもらいたかった。私を抱きしめた欲しかった。好きだといって欲しかった。でも彼は逢ってくれなかった。それどころか奥さんと子供を幸せそうに私に見せつけた。
「私と奥さんとどっちが大事なの?」
と私は問いつめた。すべてを失いたくなかった。職員室だった。手には包丁もあった。
もう一度、より強い口調で
「私と奥さんとどっちが大事なの?」
と問いつめた。周りに人だかりにできた。彼は
「当然、妻と子供だよ。君みたいなヒステリーな女なんかどうして好きになる。」
あっさりと言い放った。あのときの冷たい眼差しは今も忘れない。
 私には彼が刺せなかった。彼を傷つけるほど好きじゃなかったのか?傷つけられないほど好きだったのか?はわからなかった。その場に泣き伏してしまった。
 次の日、私は退職届を提出した。当然のように、うれしそうに校長は受け取った。気のない上辺のなぐさめと慰留があった。
その時から、私はもう何もない世間体の悪い無職の女になった。
5.
 浜辺は寒かった。私たちの他は誰もいなかった。
 カズは走り回って花火をした。私も煙を逃げながら走った。
 ひさしぶりに楽しかった。時間を忘れていた。このまま花火がなくならなければいいと思った。でも恋がなくなるように花火がなくなる。その時またあのときと同じような喪失感を味わうのだと思った。
 線香花火が残った。私は手に取ると火をつけた。柔らかい頼りない火花が咲いていた。
「私たちもう30だよね。カズは恋人とかもいたでしょ?今もいるかもしれないけど。どうして結婚とかしないの?」
私は今の私と違うポジションにいるカズの秘密が知りたかった。カズにもきっと欠陥があるはずだ。
「俺、2番目に好きな人としか付き合ってこなかったから。」
カズは笑っていった。
「やっぱり、男は卑怯なんだ。」
「そうだね、俺は卑怯だよ。本気で好きになった人には好きだといえないんだから。」
「ふーん、臆病者。」
私はカズの臆病さがうれしかった。カズにも欠陥があった。
「だからみんな女の子は本気で愛さない俺から去っていくのだ。はっはっは」
カズは大きな声で笑って言った。どこか寂しそうだった。
残った二本の線香花火に火をつけた。弱々しい火花がぱちぱち言った。
これが終わればカズとも終わりだ。
「私のこと知ってるんでしょ?」
私はカズに聞いた。これで終わりにするつもりで
「何を?」
「とぼけないで」
私は、聞き返した。
「知ってるんでしょ?」
「全部知ってるよ。中学の時、おまえがはじめて好きな彼とのデートでなれない靴はいて靴擦れしたことも、バレンタインデーのチョコ手作りして失敗したことも、ラブレター書いて、渡せなくってうろうろしてたことも」
「そんなことじゃない。でも」
そうだった。いつも私が困ってるときにはカズが隣にいた。
はじめて好きな彼とデートでなれない靴はいて靴擦れした時はカズが自転車で迎えに来てくれた。
バレンタインデーのチョコ手作りして失敗した 時は美味しくもないチョコを全部食べてくれた。
ラブレター書いて渡せなくって、うろうろしてた時は相手の男をカズが引っ張ってきてくれた。
どのときも私はカズのおかげで幸せな時間が過ごせた。今もそうだ。でもそれも今日で終わりだ。
最後の線香花火が終わった。
「はっきり言って、知ってるって。」
「全部知ってるよ。今日仕事休んでおまえの元彼殴ってきた。俺、慰謝料請求されたら、リカコ、おまえ払えよ」
涙が出た。わたし気がついてなかったんだ。カズのこと
「おぼえてるか、あのサッカーの試合のこと。あのフリーキック決まったら、俺おまえに告白しようと思ったのに、緊張しちゃってさ。あのキック決まってたらおまえにこんな哀しい思いさせなくてよかったかもな。」
カズは砂浜に落ちてる空き缶をひろって海に向かってセットした。
「このキック、海までとどいたら結婚しないか。」
カズは真面目に私の目をのぞいて言った。そして着ていたベンチコートを脱いで私の肩に掛けてくれた。
「こんな世間体の悪い無職のヒステリー女でいいの?いいわけないよ」
私はカズを傷つけたくなかった。でもカズとも離れたくない気持ちでいっぱいだった。 
「いいよ。一番好きな人だから。おまえがどんなにヒステリーで世間体が悪くっても」
カズはそう言うと空き缶との距離と海までの距離を測っていた。また涙が出た。
「じゃあ、約束だよ。今度は本当に決めてね」
私は涙声だった。
「俺、うそつかないよ。」
そう言うとカズは助走にはいった。一歩一歩昔のように力強く速かった。カズはその右足を鋭く振り抜いた。空き缶は乾いた音を立てて宙に舞った。そして大きくバナナのような弧を描いて飛んで、波打ち際に落ちた。そして波がそれをさらっていった。
海には届かなかった。
 
 
 4ヶ月後、私は6月の花嫁になった。隣には当然カズがいる。あのキックは届かなかったけれどディフェンダーの私がゴールに押し込んだ。オウンゴールだ。過程はどうあれ得点になった。ふたりで決めた得点だ。
そして私は幸せになる、一番好きなカズと一緒に。
(終わり)
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